▽ペプチドホルモンの1つ、オキシトシンは、妊婦さんの陣痛促進剤として古くから使用されてきました。そのオキシトシンの働きを妨げるオキシトシンレセプター阻害剤は、早産治療薬として開発が始まり、既に長い歴史を持っています。
▽私はこのブログで、日本で早産治療薬として承認されているベーター刺激剤(心臓への負担が重い喘息治療薬の転用剤)や硫酸マグネシウムが胎児に及ぼす悪影響を、何度も指摘しています。
一方、EU(欧州連合)は、オキシトシンレセプター阻害剤を切迫早産治療薬として承認しています。
▽最近、日本でもEUに追随するような動きがあります。開発の歴史を踏まえて紹介します。
まず、オキシトシンレセプターの研究は、大阪大産婦人科の木村正教授がオキシトシンレセプターの遺伝子配列を決定し格段に進歩しました。(1)
▽私もオキシトシン分解酵素(P-LAP)の研究に長年取り組んでいます。オキシトシン分解酵素は、オキシトシンレセプターに働き掛けるのではなく、オキシトシンそのものを血中で破壊(分解)し働きをなくしてしまい、子宮収縮を止めます。
▽私が、オキシトシン分解酵素の研究を始めた1970年ごろ、オキシトシンレセプターの概念は不確かでした。そのためオキシトシンレセプター阻害剤の研究に強い関心は持っていたものの、それ以上にはなりませんでした。
▽幸いサントリー生物医学研究所の協力で、私は1996年、念願のオキシトシン分解酵素(P-LAP)の遺伝子配列を決定しました。(2)「天安門事件」の前年の1988年。私は北京大で開催されたシンポジウムに参加して、P-LAPに関する講演をしました。私の発表に対し、米国のオルソ(製薬会社)の研究者Dr. Hahn(北朝鮮から米国へ移住)が、私に質問しました。
▽講演か終わると、彼は「自分は会社でアトシバン(オキシトシンレセプター阻害剤)の開発に取り組んでいる研究者です」と自己紹介し、アトシバンを早産治療薬として開発する意気込みを話しました。
▽オキシトシンレセプター阻害剤の開発は、スイス・フェーリング社など欧州勢も手掛けていました。(3)
その後、オキシトシンレセプター阻害剤の研究開発については、米メルクが本格的に基礎研究を試み、数々の論文が基礎医学雑誌に報告されました。(4,5)
▽ところが、1990年代末になると、メルクは突然、アトシバンの基礎研究から撤退したのです。どうしてなのか、私は不思議でたまらず、「アトシバンに胎児毒性などの成績が出てきたのだろうか」などと考えていました。欧州ではアトシバンが「トラコシル」という製品名で販売されているにも関わらず、メルクが開発を断念した理由はいまなお謎のままです。
▽それから、時が経ちました。私はオキシトシンレセプター阻害剤が細胞増殖を抑えるとする論文に遭遇しました。(6)
仮に、この論文が正しいなら、アトシバンは胎児発育を抑える因子として働きます。つまり早産治療薬としては不都合な事実です。突然、メルクがアトシバンの基礎研究から撤退したこととの因果関係は分かりませんが、FDAはアトシバンを早産治療薬としてはいまだに認めていません。
▽オキシトシン、アンジオテンシンなど、胎児が自身の発育・成熟とともに分泌を増加させる、これらのホルモンは胎児自らの成長・発育因子として胎児の成長に深く関与する、と私は考えています。
▽薬理学(ホルモン作用)の基礎知識として、私たちはオキシトシン、アンジオテンシンなどの母体側での働き、子宮収縮や血管収縮(血圧上昇)のみに注目してきていました。しかし、これらホルモンが、胎児の発育・増殖因子としても大切なホルモンである事実に、もっと注目すべきではないでしょうか。
▽「妊婦の治療薬は、胎盤を通過しないものが開発されるべきだ」。米Mayo Clinic の腎臓内科の医師は、論文でそう指摘しています。(7)
(1)Kimura T et al. Nature1992;356,526-529
(2)Rogi T et al. J Biol Chem 1996;271:56-61
(3)Bossmar T et al. Am J Obstet Gynecol 1994;171,1634-1642
(4)Thompson KL et al. Drug Metab Dispos 1997;25,1113-1118
(5)Williams PD et al. Adv Exp Med Biol 1998;449,473-479
(6)Reversi A et al. J Biol Chem 2005;280:16311-18
(7)Brown C M , Garovic V D Drugs (2014) 74:283–296