2017年02月

Dr.水谷の女性と妊婦講座No102「胎児が死の危機に直面するまで役に立たなかった分娩監視装置。優ったP-LAP値の予知能力」

Fig六 (002)講座102 

▽42歳の夏、名古屋大学産婦人科に助手として戻ってきました(浜松医大では講師でした)。大学院修了後、70年4月に国立名古屋病院に赴任して以来、久しぶりでした。外来の看護師さんに先生何しに戻ってきたの?と言われたのをよく覚えています。その助手時代、ホルモン療法で38歳の妊娠高血圧症の妊婦さんを分娩に導きました。

 

▽妊婦さんは、それまでは正常妊娠でしたが、今回は妊娠25週で蛋白尿と全身の浮腫が現れていました。26週に入院し安静にしてもらい経過を観察。27週に血圧が188/122mmHgと上がったため、先輩医師が様々な降圧剤を投与しました。降圧剤を使った治療は13日間続けられました。

 

▽この間、P-LAP値は上昇せず、妊婦さんの高血圧症状は改善しませんでした。私は、このままでは必ず胎児は死亡すると思いました。妊婦さんの主治医だった同僚医師を説得し、私が主治医になって妊娠29週にホルモン療法を開始しました。

▽ホルモン療法の開始から4日目にP-LAP値は、22単位に下降したものの、その後は上昇し、体重も減っていきました。ホルモン療法開始18日目にP-LAP値は45単位まで上がりました。しかしながら、その2日後(ホルモン療法開始後20日目)、突然P-LAP値が20単位へと激減しました。

 

▽そこで帝王切開手術による分娩によって、1075gの女児(アプガースコア8)を娩出させました。赤ちゃんは、NICU(新生児集中管理室)に入院しましたが、その後は母児ともに順調な経過をたどりました。

▽実は、この妊婦さんは、27週からP-LAP値のモニタリングと分娩監視装置(CTG)を併用して母体と胎児を管理しました。CTGは、胎児の心拍数と妊婦の子宮の収縮、即ち陣痛をみることで、胎児の健康状態を監視する方法です。

▽妊婦さんのCTGとP-LAP値の変化を図に現しています。ここからは暫くブログを読みながら、図をご覧ください。妊婦さんは入院時に既に血圧が高く、P-LAP値は正常妊娠の平均値(破線)をかなり下回っていました。つまりP-LAP値の推移から判断すると、母体内の胎児にリスクが迫っていることが強く示唆される状態だったのです。

▽この妊婦さんの場合、P-LAP値は25週に蛋白尿と全身の浮腫を発症する前から測定すべきです。しかし残念ながら、既に重症妊娠高血圧症となっていた28週からの測定しか出来ていません。

 

▽これに対し、CTGはどうだったでしょう。入院時のバリアビリティ―(胎児の心拍が小刻みに変動すること)は正常で、何ら病態を反映していませんでした。ところが、その後、P-LAP値は上昇して血圧が低下しています。

バリアビリティ―は妊娠31週初めまで正常でした。胎児の状態が良好なことを現す「一過性頻脈acceleration(心拍の一過性の上昇)」も維持されていました。つまり胎児に危機が迫っているのを予測するデータは、CTGからは何も得られなかったのです。

▽そしてP-LAP値が45単位から20単位へ激減した時、CTGは初めて遅発一過性徐脈(レート・デセレレーション=late deceleration)の反応を示しました。母体の子宮が収縮し始めるより、やや遅れて胎児の徐脈が起こり、収縮が最高に達してからも徐脈は続き、収縮が終わった後、ある程度時間が経った後に収縮前の心拍数に回復するのを遅発一過性徐脈といいます。母体と胎児間の酸素交換が減って胎児が死の危機に直面しているサインです。

▽要は、胎児が死の危機寸前にならないと、CTGは何の役にも立たなかったのです。これが当時(今も?)のCTGの実態だったのです。P-LAP値のモニタリングという母体や胎児との“対話”を怠って、CTGという当時の先端医療機器にのみに頼って判断していたら、女児は果たしてNICUに入院できたのでしょうか。医療機器に頼りすぎる怖さが、このケースからもご理解いただけると思います。

 

文献 Exp Clin Endocrinol Diabetes 2015;123:159-164

 

Dr.水谷の女性と妊婦講座No101「標準治療よりホルモン療法選択した重症妊娠高血圧症の妊婦。生まれた女児は2児の母」

 

▽1975年の冬。名古屋大産婦人科医局の人事で静岡市の病院に勤務していました。その病院で、当時29歳の重症妊娠高血圧症の妊婦さんと出会いました。妊婦さんは、前回妊娠時も重症妊娠高血圧症で苦しんだとお聞きしました。

▽今回は、妊娠28週から32週にかけて浮腫、次いで蛋白尿が現れました。血圧も妊娠32週で150/84mmHgに上昇したため入院されました。同僚の医師が、当時の標準治療法の降圧剤や利尿剤で治療を始めましたが、血圧の上昇は止まりませんでした。

 

▽この妊婦さんに、5年前の国立名古屋病院勤務時代、重症妊娠高血圧症の妊婦さんに初めて試みたホルモン療法を詳しく説明しました。妊婦さんが快諾されたので、ホルモン療法を始めました。これが重症妊娠高血圧症の妊婦さんを治療した2例目です。

▽治療開始と同時に妊婦さんのP-LAP値は上昇し、妊娠33週には74単位となりました。半面、血圧は下降しました。

その後もホルモン療法を続けました。妊娠35週にはP-LAP値は42単位と下降し、血圧が再び上昇に転じました。

▽その時点で帝王切開手術によって分娩。1850gのアプガースコア9点の元気な女児を娩出させました。

 

▽2例目も、胎児娩出は、測定中のP-LAP値の持続的な下降と臨床症状の変化で決断しました。“ホルモンアレルギー”が今以上に強かった時代を考えると、P-LAP値をモニタリングしながら、エストロゲンとプロゲステロンを暫増させる方法で、5年間に重症妊娠高血圧症の妊婦さん2人のお子さんを無事誕生させました。ホルモン療法の安全性は、立派に証明されていると確信しています。

 

▽当時の“ホルモンアレルギー”の強さが、いかほどだったかというエピソードを紹介します。2例目の妊婦さんから、産後に初めてお聞きしました。当時の標準治療をしていた同僚の医師は「あなた、こんな治療していたら死ぬわよ」と私のホルモン療法を度々批判していたそうです。

▽それでは、妊婦さんが同僚の医師の言葉に従って当時の標準治療を続けていたら、どうだったでしょうか、その方は、私が設立したNPO法人『妊娠中毒症と切迫早産の胎児と母体を守る会』が毎年3月に開いている定期総会に、その時のお子さん(現在2児の母)とご一緒に毎年参加してもらっています。

 

▽私は何もホルモン療法に成功したことを誇りたくて、このブログを書いているわけではありません。今ほど発達した医療機器がなく、妊婦や胎児の生育状態を知るには生化学検査や問診、触診といった基本的な診察がほぼすべてだった時代でした。それでも、工夫を凝らして今よりも妊婦や胎児に安全な薬剤(ホルモン)を投与して出産に導くことができたと申し上げたいのです。

▽それを考えると、1986年4月に発売された「ウテメリン」が、妊婦や胎児の心臓などに悪影響を与えていると分かっていながら、切迫早産の妊婦に標準治療薬として使われていることが理解できないのです。「ウテメリン」は、心臓負担が重い喘息治療薬を転用してオランダの製薬会社が開発しました。それを日本のメーカーが、技術を導入して開発、売れ始めたら「ウテメリン」という商標を買い取りました。

 

▽日本は、オランダ以上に優秀な製薬会社がそろっています。一方で晩婚によって高齢出産の女性が増えるほど、切迫早産の危険性に晒される妊婦さんは増えていきます。どうして、妊婦や赤ちゃんに安心・安全な薬剤を、日本独自で開発しようという機運が生まれないのでしょうか。不思議でならないのです。

文献 Exp Clin Endocrinol Diabetes 2015;123:159-164山崎

Dr.水谷の女性と妊婦講座 Nо100「 重症妊娠高血圧症の妊婦に国内初のホルモン療法を試みて成功しました。危険な薬剤に頼らなくても治療は可能です」

1図中毒症 

▽妊娠高血圧症や切迫早産の治療には 本当に喘息治療薬の転用剤や硫酸マグネシウム剤を使う以外にないのでしょうか。担当する産科医から「この薬以外に治療薬はありません」と言われたら、患者さんはその言葉に従い、やむなく治療を受けるしかありません。そうではないことを知ってもらうため、2013年3月に『妊娠中毒症と早産の最新ホルモン療法』というタイトルの小冊子を発行しました。さらに2012年9月にブログ(http://plap.doorblog.jp/archives/18011183.html)を書きました。危険な薬剤に頼らず、妊娠高血圧症や切迫早産を治す全く別の治療法「ホルモン療法」が、どういう背景で誕生したのか。皆さんに知ってもらいたくて、今一度ご無紹介します。

 

▽“水谷式ホルモン療法”は、1970年4月に赴任した国立名古屋病院勤務時代、大勢の妊娠高血圧症の妊婦さんを治療する中から生まれました。この病気は、いうまでもなく高血圧が主症状で治療法は昔から降圧剤です。様々なタイプの降圧剤を妊婦さんに投与しました。しかし残念ながら、重症妊娠高血圧症では、降圧剤はほとんど効果がありませんでした。降圧剤の投与を続けると、血圧の上昇は頭打ちになりましたが、殆どは赤ちゃんが亡くなりました。つまり赤ちゃんの死亡とともに、妊婦さんの高血圧症が治癒するのです。

▽当時、妊婦健診は母子手帳に記載されていた1.血圧測定、体重の測定(浮腫のチェック)、2.聴診器(トラウベ)による胎児心拍の確認、3.触診で胎児の位置確認(逆子のチェック)だけでした。当時は子宮収縮ホルモンの「オキシトシン」が陣痛誘発剤として広く使われていました。このオキシトシンを分解し、その働きを無くする酵素が「オキシトシナーゼ」です。

▽妊婦の血液中には妊娠の進行とともに「オキシトシナーゼ」が増えていきます。「オキシトシン」が子宮を収縮させて、うまく陣痛を誘発させるには「オキシトシナーゼ」の変化(減少)と関連しています。妊娠の進行とともに、妊婦の血液中では「ロイシンアミノぺプチダーゼ(LAP)」という物質が増えていきます。「ロイシンアミノぺプチダーゼ」は胆道酵素とも呼ばれ、今でも肝機能の検査に用いられています。

 

▽まず妊娠に関係する酵素の働きを勉強して、妊婦で増加するLAPは胎盤に由来(胎盤性LAP=Placental AminoPeptidase=P-LAP)し、オキシトシンを分解する「オキシトシナーゼ」と同じ酵素ということを突き止めました。LAPは、国立名古屋病院の検査室でも簡単に測定できました。妊婦健診の外来では、妊婦さんのP-LAP値を測定して、「P-LAPが順調に増えていますから、赤ちゃんは順調に育っていますよ」と説明していました。今と違って十分とは言えない妊婦検診を、P-LAPの測定値の変化に注目して補うことによって、胎児の状態を診断していたのです。自然陣痛が起こる約10日前からP-LAP は減少(低下)かまたは横ばいとなります。ですからある程度自然陣痛の予測も出来ました。

▽一方、重症妊娠高血圧症では、降圧剤を妊婦に投与して妊娠継続を試みました。しかし正常妊娠と異なりP-LAPは増えず、胎児は死亡しました。P-LAPの測定値が減っていくとともに胎児が亡くなっていくのです。降圧剤以外に別の治療法はないか。胎児が亡くなる度に頭を抱えて悩み、手当たり次第に医学書を読みました。

そして1970年の夏、講座Nо94のブログで紹介したように米国ハーバード大学ボストン産科医院のスミス博士の論文を発見しました。スミス博士は、重症妊娠高血圧症の患者は、尿中のエストロゲンとプロゲステロンが減っていたことに着目して、この2つのホルモンを補充する方法で治療していました。博士の論文は、1941年発行の医学雑誌に掲載されていました。文献

論文によると、重症妊娠高血圧症の患者に一定量のエストロゲンとプロゲステロンを毎日注射して最長で7日間妊娠の延長に成功していました。ホルモン療法の降圧効果は一時的だったものの、ともかく7日間の妊娠延長が認められたと書かれていました。

▽スミス論文を参考にして、次はホルモン療法で7日以上の妊娠延長が可能になる方法を探りました。その結果、1.正常妊娠ではエストロゲンとプロゲステロンは妊娠の進行とともに増えるため、週数ごとにホルモン量を徐々に増やしていく。2.P-LAPの測定値の変化で治療効果を判定するーの2点を考えました。

プロゲステロンの妊婦への投与は、最近でこそ日の目を見るようになりました。しかし、当時も今も、周産期医療でエストロゲンとプロゲステロンを妊婦に使うのは一般的ではありません。とくにエストロゲンは現在も禁忌とされています。

▽そういう背景の中、1970年の冬、父が経営していた産婦人科医医院の患者さんに “水谷式ホルモン療法”を初めて試みました。国内初のホルモン療法です。

妊婦さんは、最初の妊娠時に重症妊娠高血圧症になっていました。今回は、妊娠30週に血圧上昇と明らかな浮腫で入院。入院後安静療法で経過観察し、血圧190/130mmHgに上がって、蛋白尿も確認されました。

▽入院7日目にホルモン療法を開始。4日目にP-LAP値が激減し、胎児の死亡を恐れました。ところが、投与するホルモン量を徐々に増やしていくと、P-LAP値が正常妊娠の平均値位まで上昇。血圧が下がって、浮腫も改善されました。

妊娠33週にはP-LAP値は最高値を示し、血圧148/110mmHgと改善。その後もP-LAP値の推移を見ながら妊娠継続を目指しました。医院で採血し、それを国立名古屋病院の検査室で自分でP-LAPの測定をしました。

▽しかし、P-LAP値はその後次第に減少し、血圧も改善しませんでした。P-LAP値が9日以上連続して減少したため、妊娠35週で帝王切開手術。1750gの男児(アプガースコア8点)を分娩させました。術後の経過は順調で、母子ともに7日後に退院しました。

▽エストロゲンとプロゲステロンのホルモン暫増法とP-LAPによる胎児・胎盤モニターという“水谷式ホルモン療法”によって、スミス博士の7日間の妊娠延長記録を2週間延ばし、3週間に更新しました。

図はその経過です。Blood Pressure(血圧)Body Weight (体重)Progesterone(黄体ホルモン)Estradiol(エストロゲン),破線は正常妊娠のP-LAP平均値の妊娠週数の変化です。

 

文献 Smith GV, Smith OW. J Clin Endocrinol1941;1:477-484                  

 

 

Dr水谷の女性と妊婦講座No99「新生児医療が発達した背景には産婦人科医の“責任逃れ”がありはしないでしょうか」

 

▽新生児医療のお蔭で妊娠期間、つまり胎児がお母さんの子宮で育つ期間(在胎期間)、が短くても"人工子宮"(人工保育器)に移すと生存出来るようになりました。産科の病気で、胎児の在胎期間を短くさせる疾患は、妊娠高血圧症と切迫早産です。以前、お母さんと赤ちゃんに関連する主な診療科は、産科、婦人科、小児科でした。それが最近は、新生児科という新たな診療科を目にするケースが増えました。

▽新生児医療の最前線には、周産期母子医療センターのNICU(新生児集中治療室)が存在します。しかし現在はどこもほぼ満床です。ハイリスク新生児が増えて、その分、対応が難しくなる状態が続いています。

医療機器や医療的ケアが必要でも、ハイリスク新生児は容態が安定期に入ると、できるだけ早期退院を求められるようになっています。さまざまな事情を検討して、重症心身障害児施設で受け入れるケースはあります。ただ子どもたちの多くは、地域の病院を経た後、または、直接在宅での生活を始めることを余儀なくされています。

▽ここに大きな問題が横たわっています。子供たちは、それまでNICUスタッフの高度な医療と手厚い看護によって命を支えられてきています。在宅生活を始めたからといって、家族だけで面倒をみるのは容易なことではありません。病院は生活の場ではありませんから、在宅で家族とともに暮らすのは望ましいことではあります。

▽しかし家族をサポートする医療、福祉、教育の支援態勢は十分整っているとは言えません。勢い家族は、子供と暮らし始めることによって、さまざまな課題と格闘する日々が始まるのです。何とも皮肉な話です。

▽それでは、どうして新生児科が誕生し、引く手あまたになっているのでしょうか。皆さん、そのことを考えられたことが、ございますか?

切迫早産と妊娠高血圧症の治療法の問題点を、これまでのブログで度々述べてきました。今の切迫早産の標準治療薬「ウテメリン」の発売は1986年4月です。その遥か前から、2つの疾患に対する安心、安全な治療法はなかったし、今もないのです。

▽何度も述べていますように、切迫早産には基本的には喘息治療薬と同じベータ2刺激剤、あるいは、下剤のマグネシウム、妊娠高血圧症には、マグネシウム、または、胎児の生きる努力を妨げる一般的な降圧剤(母体の血圧を少しは下げますが、胎盤の血圧も下げますから、胎児は母体からの酸素供給が妨げられ亡くなってしまう可能性があります)があるだけなのです。これらの薬剤は、胎児への副作用のみならず母体の健康にもよくありません。しかも、この2つの疾患は現在の治療法では治癒しません。

▽新生児医療が発達しました。そのことが、それまでは助からなかっただろう多くの命を救っていることは認めます。しかし、その陰で産婦人科医は、何をしているのでしょう。2つの疾患に対する治療法を開発する努力をすることもなく、自らの責任を回避するため赤ちゃんを早く娩出(分娩)させています。いうところの、「責任逃れ」をするようになっている、と私の目には映ります。

新生児医療の発達にも限界があります。高リスク新生児が病院を退院したら、サポート体制も不十分なまま在宅生活を強いられているのはその現れではないでしょうか。いまこそ、産婦人科医が立ち上がって、妊娠時の“難病”、早産や妊娠高血圧症の治療法に取り組み、一人でも多くの健康な赤ちゃんの誕生に貢献する時期だと思っています。

 

 

 

Dr水谷の女性と妊婦講座No98「ホルモン療法は心筋内膜欠損症の手術を経験した妊婦を正常分娩に導きました」

▽前回No97のブログで紹介した妊婦さんを治療したのと同時期、切迫早産の妊婦さんを、プリカニールを併用せずに、ホルモン療法のみで治療する事ができました。名名古屋大病院の産科主任時代でした。

▽妊婦さんは、小児期に心筋内膜欠損症のため修復手術を受けています。妊娠21週に規則的な子宮収縮を訴え、切迫早産のため名古屋大病院に入院しました。

▽ここで心筋内膜欠損症を少し説明します。生まれつき心臓(心房と心室)の4つの部屋の壁が極端に薄い、あるいは、欠損しています。心房と心室間の弁も十分に発育していません。当然、当時ウテメリンの代わりに使用されていた喘息治療薬のテルブタリン(ブリカニール硫酸塩)は、心臓に負担をかけますから、使えません。

▽迷うことなく、ホルモン療法を選択しました。妊娠21週の入院と同時にホルモン療法を始めて、妊娠29週まで続けました。

●は、妊婦さんのP-LAP値の推移。○はズファラジン100mg/日持続点滴で治療した切迫早産の妊婦さんのP-LAP値の推移(講座No95参考)と対比しています。

▽入院(admission)時のホルモン療法開始前のP-LAP値はかなり低値ですが、図で分かるようにホルモン療法を開始するとP-LAP値はぐんと上昇傾向となりました。その後もP-LAP値は妊娠の進行とともに上がり続けました。

同時に分娩監視装置で子宮収縮を観察しています。切迫早産(子宮収縮)の症状は次第に軽くなりました。切迫早産は軽快し妊娠28週には、ホルモン療法が中止出来ました。その後、入院(安静療法のみ)を継続し、妊娠31週で退院しました。P-LAP値は外来で分娩直前まで継続して測定しました。

P-LAP値は、明らかに○印のズファラジン100mg/日持続点滴で治療した切迫早産の妊婦さんのP-LAP値の推移より高値で推移しました。

妊娠38週に自然陣痛で3090g(アプガースコア9点)の男児を正常分娩しました。Figure8(下図)に示しておきます。

 

 

 

 

 

98no2

 

ところで私の依頼で静岡済生会病院勤務時代に日本ケミファ―社がP-LAP測定キットを製造してくれました。販売は私が浜松医大勤務時代からで、その後エスアールエル社では臨床検査項目としてP-LAPをカタログに掲載していました。三共のCAPと同じく生化学検査として健康保険認可されていました。

 

 

 

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