▽42歳の夏、名古屋大学産婦人科に助手として戻ってきました(浜松医大では講師でした)。大学院修了後、70年4月に国立名古屋病院に赴任して以来、久しぶりでした。外来の看護師さんに先生何しに戻ってきたの?と言われたのをよく覚えています。その助手時代、ホルモン療法で38歳の妊娠高血圧症の妊婦さんを分娩に導きました。
▽妊婦さんは、それまでは正常妊娠でしたが、今回は妊娠25週で蛋白尿と全身の浮腫が現れていました。26週に入院し安静にしてもらい経過を観察。27週に血圧が188/122mmHgと上がったため、先輩医師が様々な降圧剤を投与しました。降圧剤を使った治療は13日間続けられました。
▽この間、P-LAP値は上昇せず、妊婦さんの高血圧症状は改善しませんでした。私は、このままでは必ず胎児は死亡すると思いました。妊婦さんの主治医だった同僚医師を説得し、私が主治医になって妊娠29週にホルモン療法を開始しました。
▽ホルモン療法の開始から4日目にP-LAP値は、22単位に下降したものの、その後は上昇し、体重も減っていきました。ホルモン療法開始18日目にP-LAP値は45単位まで上がりました。しかしながら、その2日後(ホルモン療法開始後20日目)、突然P-LAP値が20単位へと激減しました。
▽そこで帝王切開手術による分娩によって、1075gの女児(アプガースコア8点)を娩出させました。赤ちゃんは、NICU(新生児集中管理室)に入院しましたが、その後は母児ともに順調な経過をたどりました。
▽実は、この妊婦さんは、27週からP-LAP値のモニタリングと分娩監視装置(CTG)を併用して母体と胎児を管理しました。CTGは、胎児の心拍数と妊婦の子宮の収縮、即ち陣痛をみることで、胎児の健康状態を監視する方法です。
▽妊婦さんのCTGとP-LAP値の変化を図に現しています。ここからは暫くブログを読みながら、図をご覧ください。妊婦さんは入院時に既に血圧が高く、P-LAP値は正常妊娠の平均値(破線)をかなり下回っていました。つまりP-LAP値の推移から判断すると、母体内の胎児にリスクが迫っていることが強く示唆される状態だったのです。
▽この妊婦さんの場合、P-LAP値は25週に蛋白尿と全身の浮腫を発症する前から測定すべきです。しかし残念ながら、既に重症妊娠高血圧症となっていた28週からの測定しか出来ていません。
▽これに対し、CTGはどうだったでしょう。入院時のバリアビリティ―(胎児の心拍が小刻みに変動すること)は正常で、何ら病態を反映していませんでした。ところが、その後、P-LAP値は上昇して血圧が低下しています。
バリアビリティ―は妊娠31週初めまで正常でした。胎児の状態が良好なことを現す「一過性頻脈acceleration(心拍の一過性の上昇)」も維持されていました。つまり胎児に危機が迫っているのを予測するデータは、CTGからは何も得られなかったのです。
▽そしてP-LAP値が45単位から20単位へ激減した時、CTGは初めて遅発一過性徐脈(レート・デセレレーション=late deceleration)の反応を示しました。母体の子宮が収縮し始めるより、やや遅れて胎児の徐脈が起こり、収縮が最高に達してからも徐脈は続き、収縮が終わった後、ある程度時間が経った後に収縮前の心拍数に回復するのを遅発一過性徐脈といいます。母体と胎児間の酸素交換が減って胎児が死の危機に直面しているサインです。
▽要は、胎児が死の危機寸前にならないと、CTGは何の役にも立たなかったのです。これが当時(今も?)のCTGの実態だったのです。P-LAP値のモニタリングという母体や胎児との“対話”を怠って、CTGという当時の先端医療機器にのみに頼って判断していたら、女児は果たしてNICUに入院できたのでしょうか。医療機器に頼りすぎる怖さが、このケースからもご理解いただけると思います。
文献 Exp Clin Endocrinol Diabetes 2015;123:159-164