妊婦の採血で胎児に染色体の病気があるかを調べる新型出生前診断が、臨床研究として始まっています。

胎児の染色体異常が高い精度で分かるのですが、その検査の結果次第で「生命の誕生」を拒むことがはたして許されるのでしょうか? 「命」をあまりにも軽く考える医療行為と私には思われます。

一方、子供がほしいという人の希望だけで、第三者からの卵子を提供することが許されるのでしょうか?

産んだ女性とは遺伝的な母子の関係がないにもかかわらず、赤ちゃんは「実の子」と偽られて生まれ、育てられる。まさしく生命の根源をもてあそぶ犯罪に近い行為ではないでしょうか?少なくとも、私にはそう思えます。

親子の定義は一体どこにあるのでしょう? 養子縁組なら別ですが、他人の卵子の提供を認めれば、その根本が崩れます。親子ではありません。そういう関係を、私たちは何と呼べばよいのでしょうか。

このような、「生むわがまま」と「生まないわがまま」を認め、協力する医療行為を、私たち医師はどのように考えるべきなのでしょう。

卵子がほしいというヒトの欲望や染色体異常が分かった赤ちゃんを抹殺する医療が限りなく進めば、私たちにどんな未来があるのでしょうか。私は想像が出来ません。

話は飛躍するようですが、科学の発達と戦争に勝つという欲望が原子爆弾を生みだし、広島や長崎の悲惨な惨劇を生み出しました。私たちは忘れてはならないのです。

あの長崎の鐘や広島の20万人の惨劇を想い起こしましょう。ヒトの欲望には際限がありません。ほしいものを1つ手に入れたといって満足する人は稀です。むしろ、1つほしいものが手に入ると、次にほしいものを探し出し、手に入れようとします。

そういう、ヒトの欲望、いや、“わがまま”に、医療はどこまでお付き合いすべきなのでしょうか。今一度立ち止まって、医師、患者双方が「命の誕生」を真剣に考える時期だと思います。