さて「お産講座No 19」(6月11日)で、胎児が分泌するホルモン(バゾプレッシンやアンジオテンシン)胎児・母体関門は、ホルモン分解酵素であるとお話ししました。胎児が分泌するホルモンが増えると、簡単に母体血液プールへ流出する可能性がある、と胎盤の構造を説明する際に申し上げました。

理論上は確かにそうなのですが、実際は、そうはなりません。なぜなら、胎盤に存在するアンジオテンシン分解酵素(APA)とバゾプレシン分解酵素(P-LAP)が、胎児側から母体側へのホルモンの流出を防いでいるからです。

APAやP-LAPは、妊娠の進行とともに妊婦の血液中に増加するため、胎盤と妊婦血中の“二段構え”でバゾプレッシンやアンジオテンシンが母体側で作用せず、妊娠が順調に進むようになっているのです。

このような考えを理解していただければ、妊婦の血液中のAPAやP-LAPの測定は、産婦人科医が妊婦健診の際に盛んに行っている、超音波法によるリアルタイム(妊婦と胎児の現状を見る)検査法に勝るとも劣らない簡単な胎児well-being(元気に育っているか) の評価法なのです。しかも簡単な採血だけで済むので医療費もかかりません。

「お産講座NO26」(7月30日)などで述べましたように、最近の産婦人科診療のガイドラインは、胎児well-beingの評価法には、どういうわけか生化学的な検査法(妊婦血中のAPA、P-LAPの測定)は、除外されているのです。

私が大学に在職中は、-LAPの測定は保険適用の診療項目になっていました。それが大学退職後間もなく、P-LAPの測定は保険適用の診療項目から外されました。どうしてなのか、今でも分かりません。

胎児は、バゾプレッシンやアンジオテンシン、オキシトシンなどのホルモンの分泌量を、自らの発育とともに増やしていきます。私は、これらのホルモンは胎児が子宮内発育に必須のホルモンと考えています。

言い換えると、胎児発育のエネルギーになっていると思うのです。バゾプレッシンやアンジオテンシンは度々述べたように、胎児がストレス(酸素不足など)に曝されると、その量が著しく増加します。

バゾプレッシンとオキシトシンは親戚のようなホルモンで、その構造がそっくりです。アミノ酸の種類が1つ異なるだけです。バゾプレッシンは血管収縮作用と子宮収縮作用があります。オキシトシンは主に子宮収縮作用です。そして、バゾプレッシンはストレス反応ホルモンです。ところが、オキシトシンはむしろ胎児成長に正比例してその量が増えていきます。即ち、胎児成長のマーカー(指標)ホルモンのような存在です。

胎児が作るバゾプレッシンとオキシトシンの割合は、圧倒的にバゾプレッシンの方が多く、胎児が成熟する、即ち分娩が近づくと、少しずつオキシトシンの割合が増えるのです。ただバゾプレッシンとオキシトシンの割合が均等になるのは、赤ちゃんが誕生した後、相当の期間たってからです。

ここで、妊娠の2大疾患である、妊娠中毒症と流産・早産の原因のすべてとは言いませんが、私が考えている主な原因をご説明します。

まず、母体へのストレス(過剰な労働など)です。母体がその活動(労働)のために酸素をより多く必要として、胎児への酸素供給が減ってしまいます。その結果、胎児はバゾプレッシンやアンジオテンシンを多く作って、ストレスに耐えようとします。

バゾプレッシンやアンジオテンシンにはAPAやP-LAPの胎盤酵素を増やす働きがあります。ストレスが軽い段階では、胎児がバゾプレッシンやアンジオテンシンをある程度まで増やしても、胎盤が胎盤酵素を増やして母体側へ流出しないように防御する仕組みになっています。

ところが、ストレスが酷く、また継続すると、バゾプレッシンやアンジオテンシンはどんどん増えていきます。「お産講座No16」(6月5日)の胎盤の解剖図を思い出してください。

増え続けるバゾプレッシンやアンジオテンシンは、クリスマスツリーの幹と枝の血管周囲の平滑筋を締め上げてしまいます。その結果、クリスマスツリーの葉のAPAやP-LAP(胎盤酵素)は、次第に酸素が欠乏して酵素を作れなくなってしまうのです。

事実、軽症の妊娠中毒症では母体のAPAやP-LAPは正常妊娠と比べて増加しています。ところが、妊娠中毒症が重症化すると、APAやP-LAPは正常妊娠と比べて次第に減っていきます。 

さらに切迫早産の状態が進行しても同様で、-LAPが、正常妊娠と比べて、次第に減り続けるのです。


妊娠中毒症と流産・早産の原因は、極めてシンプルにご説明できます。

ストレス環境で胎児はバゾプレッシンやアンジオテンシンを増加させます。その結果APAやP-LAPが低下し、「お産講座No19」(6月11日)で述べた胎児・母体関門は破綻します。母体側へ溢れ出るバゾプレッシンやアンジオテンシンは、母体血管を収縮させ血圧をあげます。バゾプレッシンは特に腎臓の糸球体の極めて細い血管を収縮させるため、尿の量が減って妊婦のむくみ、即ち体重増加につながります。また子宮を収縮させて切迫早産の伏線となります。

陣痛の原因もそう難しくありません。私は次のように考えています。

胎児が成熟・発育するとともにオキシトシンの量が増えて、バゾプレッシンとの比率が変化していきます。

2013年、米国、アルゼンチン、デンマークの施設で行われた早産の原因となる可能性のある遺伝子の共同研究論文を御紹介します。米国アイオワ州立大の解剖・細胞生物学教室のもと、米国マギ―ウィメン病院、ピツバーグ、ロチェスター大学、NY 州、ウェイクホレスト大、ニューキャスル州、アルゼンチンの2施設、ヘルシンキ大、フィンランド、デンマークの国立周産期施設の協同研究です。著者らは、オキシトシンの代謝経路に関わるタンパクの遺伝子変異を調べました。その結果オキシトシンの分解酵素であるP-LAPのみが、その遺伝子変異と早産のリスクに相関があったとする結果です。オキシトシンやそのレセプターの遺伝子変異と早産には全く相関が見られないとする結果であり、P-LAP(オキシトシン破壊酵素)が早産の原因の物質である可能性はかなり大きいのです。共同研究論文に、私の随分前(1982年)の研究論文が、引用されています。その文章をまず英語で紹介します(文献1)The activity of P-LAP is known to gradually increase during late pregnancy and reach a very high level at 11 days before the onset of labor. 翻訳すると、妊婦の血液中のP-LAPは妊娠中徐々に増えていき、陣痛が始まる11日前が最高値となる。

解説すると、陣痛が始まる11日前には妊婦の血液中のP-LAPは最高値となり、それ以降は頭打ちになってP-LAPは増えていきません。一方、胎児のオキシトシンの量はどんどん増えていき(文献2)、母体側へ溢れ出るオキシトシンが子宮を収縮させて陣痛が来るのです。

「お産講座No.9」以降は、主に私が1994年に日本産婦人科学会で講演した内容を基に書きました。なので、内容は産婦人科のお医者さん向けです。一般の皆さんには少し難しいお話だったかも知れません。ただNo.9以降の「お産講座」が、すべてこの講演内容に含まれているわけではありません。それ以外の内容もあります。

冒頭に書きましたように、日本産婦人科学会での講演を土台にした「お産講座」は今回で終わります。長い間、お付き合いいただき、ありがとうございます。お疲れ様でした。

私は、産婦人科医として、臨床に従事しはじめたときから、素朴な疑問:1.何故陣痛ははじまるのか?2.何故このように恐ろしい妊娠中毒症が起こるのか?3.また何故未熟児が生まれるのか?これらの疑問に答えるべく、現在まで努力を継続しています。

2014年の今もこれらへの答えが、世界の研究者が競って研究しているにも関わらず、未だ答えが出せていない。全く産婦人科医の怠慢と不勉強というべきなのでしょうか?産婦人科医として、また多くの患者さんにも、恥ずかしく思うのは私だけでしょうか?

文献1Kim J et al. Sequence variants in oxytocin pathway genes and preterm birth: a candidate gene association study. BMC Medical Genetics 2013, 14: 77

文献2 Chard T et al. Release of oxytocin and vasopressin by the human foetus during labour. Nature 1971,234:352--4





















 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2012年5月19日に1回目を書いた「お産講座」は、これが34回目、最後になります。