過去20年間の生命科学は、遺伝子の研究を中心に進められてきました。その結果、困難な遺伝病の原因遺伝子が次々に明らかにされました。遺伝子操作を利用して、親子鑑定、犯罪捜査、病気の治療も行われる時代になりました。染色体上の遺伝子全部を解析するゲノム計画も進んでいます。

しかし、これで複雑な生命現象がすべて解明されるとするのは早合点です。なぜなら、遺伝子には情報は記録されていますが、その情報は、タンパク質に変換され、そのタンパク質が働かない限り、意味がないからです。つまり、遺伝子の情報は、それに指定されたタンパク質が働いてはじめて重要性を持ってくるのです。

ところで、妊娠中毒症や早産という新しい生命誕生への重大な疾患の病因が未だ不明とされています。従って、それらの治療法もありません。そういう現実を、どのように思われますか?

実は、2007年、米国テキサス州のジョンソンらが15年間(1984-99年)にわたるオーストラリアとニュ-ジランドの妊娠中毒症の家系のQTL解析(量的形質遺伝子座検定)を行い、妊娠中毒症の原因遺伝子はP-LAP(文献1) とA-LAP(文献2)である可能性が極めて高いことをすでに明らかにしています(文献3)。

その論文中に、我々が1970年代から妊娠中毒症患者の血中のP-LAP活性の変化から、妊娠中毒症の責任タンパク質がP-LAPである可能性が高いことを報告した論文も詳しく引用しています。



QTL解析という馴染みのない言葉が出てまいりました。少し解説します。生物の表現型(形質や性質)は、遺伝要因と環境要因によって決まります。遺伝要因で決定される表現型には質的形質(Qualitative Trait)と量的形質(Quantitative Trait)があります。質的形質とは、ある形質が1つ、または、2つ程度の少数の遺伝子で決定されています。有名なメンデルの遺伝の法則は、これに当てはまります。

一方、量的形質とは、多くは複数の遺伝子の効果の総和によって支配されています。植物(稲など)の品種改良で重視される形質のほとんどは量的形質です。



ここで「メンデルの遺伝の法則」を復習しましょう。メンデルは、「丸い種子」をつけるエンドウと「しわの種子」をつけるエンドウを交配し、雑種(F1)(丸い種子になります)を得て、それを自殖した世代(F2)を数多く育てて、種子の形質を調べました。その結果、「丸い種子」と「しわの種子」をもつ個体が3:1の割合で「分離」していることが分りました。エンドウは母親由来と父親由来の染色体を1セットずつ、合計2セット持っています。「丸」「しわ」に関わる遺伝子をそれぞれWwで表すと「丸」の親の遺伝子型はWW、「しわ」の親の遺伝子型はwwで表されます。両者をかけ合わせたF1Wwと表されます。F2ではWwが雌性配偶子と花粉に別れ、両者が再度ランダムに出会うため、WW: Ww: wwの遺伝子型を持つ個体が1: 2: 1の比率で現れます。F1と同じ遺伝子型Wwの個体は、「丸」になるため(Wwに対して優性です)、WW: Ww: ww = 1: 2: 1になるとき、丸:しわ = 3 (1+2): 1になります。これまで説明してきたように、「丸」か「しわ」というように、一見しただけで形質の差がはっきりと分かるような質的形質は、メンデルの遺伝の法則にあてはまります。



しかし種子の数や葉の長さなど、数を数えたり、物差しや秤で測ったりすることで得られる形質は、質的形質ほど単純ではありません。この様に、数値で表される形質を「量的形質」と言います。量的形質の遺伝の根底にあるのはメンデルの遺伝の法則です。ただ効果の異なる複数の遺伝子によって支配されるため、その解析は非常に困難でした。

ところが、コンピュータの発達、「マイクロサテライトDNAマーカー」の開発によって、1990年代から、量的形質を支配している遺伝子座の染色体上の位置を明らかにすることが可能になったのです。

QTL解析(QTL=Quantitative Trait Loci:量的形質遺伝子座)とは、ある量的形質に関して、それに関与する遺伝子が、染色体のどこにあるのか、いくつあるのか、その効果は、といった疑問に答えるための遺伝学的分析手法です。DNAマーカーと表現型(例えば、稲や米の数)の間に関係がないかを調べる作業です。

あるDNAマーカー(例えば両親の「型」をそれぞれYyとします)を調べると、遺伝子型YYの個体の平均=1800Yyの平均=1500yyの平均=1200となった場合、YYyyの遺伝子型と米の数は差がありそうです。そこで、これらの平均値の差が意味のある違いなのか。即ち遺伝子によるものなのかを調べるためには統計学が必要になります。統計学を用いて調べてみて、この差が偶然でない、確かに差がある、と分かれば、DNAマーカーYの「そば」にQTLが存在するとみなします。「そば」というのは、同じ染色体の近い場所に、DNAマーカーYQTLが存在する。遺伝学用語では「連鎖」している、という意味です。



※マイクロサテライト(microsatellite)は、生物遺伝子ゲノム上に存在する反復配列で、とくに数塩基の単位配列の繰り返しからなるものである。ゲノム中に広く散在し、集団遺伝学やDNA鑑定のための遺伝マーカーとして利用されている。





文献

1.  Rogi T et al.J Biol Chem 1996;271:56-61

2.  Hattori A et al.J Biochem(Tokyo)2001;130;235-241

3.  Johnson M P et al. Mol Hum Reprod 13:61-7(2007)