▽皆さんは「2025年問題」をご存知ですか。国民の4人に1人が75歳以上の後期高齢者になる超高齢社会になるという話です。長寿は大変喜ばしいのですが、健康が伴わないと手放しでは喜べません。超高齢化社会では、残念ながら、認知症患者の増加が予想されています。

 

 

▽私は、認知症と高血圧症の間に何らかの因果関係があると睨んでいますが、医学雑誌に掲載されていた、ある論文に目が留まりました。米国のフラミンガム研究に関連した論文です。心臓病の患者なら、ご存知方も多いでしょう。フラミンガムは米ボストン近郊にある小さな町の名前です。

 

 

▽1948年。この町で米国立心臓研究所(現国立心臓・肺・血液研究所)の指導の下、米国で増え続けていた心血管合併症対策を探る大規模な疫学研究が始まりました。「フラミンガム・ハート・スタディ」(FHS)です。

 

 

▽このFHSに参加した住民の認知症発症率は、30年間に経時的に低下していることを、米ボストン大医学部のClaudia L Satizabal氏らの研究グループが突き止め、医学雑誌に発表していました。研究グループは、1975年以降30年間の認知症発症率の時間的傾向を調べていました。

 

 

▽具体的には60歳以上の5,205例(人)を、4つの時期(第1197783年、第28691年、第39298年、第4200408年)に分けて、認知症の5年発症率を計算しました。ベースラインの各時期の平均年齢は6972歳、女性が5659%を占めました。371例(人)が認知症を発症し、第1期は100人当たり3.6人、第2期は同2.8人、第3期は同2.2人、第4期は同2.0人と経時的に低下しました。

 

 

▽疫学的な計算方法を用いると、認知症の相対的な発症率は、第1期に比べ第2期は22ポイント低下、第3期は38ポイント低下、第4期は44ポイント低下したことになるそうです。リスク低下は、高校卒業以上の集団にのみ認められ、高校を卒業していない集団では有意差はありませんでした。

 

 

▽認知症の相対的な発症率とFHSで得られていたデータをクロスすると、肥満と糖尿病を除く、ほとんどの血管リスク因子の有病率と脳卒中、心房細動、心不全関連の認知症リスクは、いずれも経時的に減っていました。ただ、これらの傾向だけでは認知症発症率の低下は十分説明できなかったそうです。論文の著者は「認知症の発症率は30年間で経時的に減少したが、これに寄与した因子は同定されなかった。寄与因子のさらなる探索が求められる」とさらなる研究の必要性を呼び掛けています。 (1)

 

 

 

▽ここで1つの事実を指摘します。それは、認知症発症率が経時的に低下している30年間は、降圧剤の進歩と時を同じくしていることです。私は1970年頃から、妊娠高血圧症の診断と治療に取り組み、胎児に由来するアンジオテンシンⅡ(以下アンジオテンシン)という血圧を上昇させるホルモンが、妊娠高血圧症の本質と考えていました。

 

▽1989年2月。私は米カリフォルニア州のCasa Sirena Marina ホテルで開かれたアンジオテンシンゴードン会議に参加しアンジオテンシン分解酵素(APA)のポスター演題を提出しました。APAが生体中最強の血圧上昇ホルモン「アンジオテンシン」のどのアミノ酸を分解(切断)することで、血圧上昇作用を失くしてしまうかを明らかにした研究です。

 

▽ゴードン会議では、世界で初めてARBの作用機序を明らかにしたディユポン社のZimmermannが講演しました。Zimmermannは、アンジオテンシンのどのアミノ酸がアンジオテンシ受容体(セプター)に結合して、血圧上昇作用を失くすかを分子レベルで明らかにし、ARBの薬剤応用への道を拓きました。共にアンジオテンシンを構成するアミノ酸の働きを研究するという共通点があったため、Zimmermannの講演にひときわ魅かれました。

 

 

 

▽認知症は、アルツハイマー型、脳血管症型、レビー小体型など様々な種類があります。患者が最も多いのはアルツハイマー型です。アルツハイマー型認知症は、アルツハイマー病とも呼ばれます。患者の大半は60歳以降に発症する老年性アルツハイマー病です。

 

 

▽亡くなったアルツハイマー病患者の脳を調べると、皮膚に観られる“シミ”と同様、脳でも"シミ"が観察されます。このシミは、「老人斑」と呼ばれ、アルツハイマー病は大脳皮質の神経細胞に多くの老人斑がみられるのが特徴です。

 

 

▽老人斑は、神経細胞に有毒なアミロイド・ベータ蛋白(Aβ)が神経細胞外に沈着しています。このためAβの蓄積をアルツハイマー病の本体とする「Aβ仮説」が有力視されていますが、原因と断定されているわけではありません。

 

 

▽健常者でも40歳を過ぎると、老人斑が観察されるようになり、その数は加齢に従って増加していきます。健常者と比べ、アルツハイマー病患者の脳の老人斑の数は非常に多く、脳全体に広がっています。

 

 

▽認知症と降圧薬との関係では、米ウェイク・フォレスト大の研究グループは、降圧薬『アンジオテンシン変換酵素阻害薬(ACE阻害薬)』のうち、脳に作用するタイプのACE阻害薬に認知症リスクを減らす可能性があることを突き止めました。アンジオテンシン受容体阻害剤(ARB製品名はディオバンやブロブレスなど)の内服で認知症の発症率が低下傾向になるとする報告も数多くあります。

 

 

▽ACE阻害薬も、ARB(アンジオテンシン受容体阻害剤)も、優れた降圧剤で世界的に普及しています。どちらの薬も生体(体内)で最も強力な血圧を上昇させるホルモン「アンジオテンシン」の働きを抑えて血圧を下げます。

 

 

 

▽アルツハイマー病患者の大半は、通常60歳以降に発症する老年性アルツハイマー病です。他方、高血圧症は、ほとんどの高齢者に現れる疾患の1つです。疾患の原因は、結果からはアクセス出来ません。病理変化は言うまでもなく、生体の動的変化の結果を見ていることになります。


▽1981年、私は胎盤にアンジオテンシン分解酵素(APA)が存在し、そのAPAはアンジオテンシンを強力に分解して血圧を下げることを突き止めました。16年後の1997年、理化学研究所脳科学総合研究センター(理研BSI)の西道隆臣氏らのチームが、アルツハイマー病患者の血中APA活性は正常人と比べて低下しており、APA活性測定はアルツハイマー病の診断と予後判定に有効なマーカーとする論文を発表しています。ACE阻害薬はアンジオテンシンの生成を、ARBはアンジオテンシンの受容体への結合を阻害します。西道氏らの論文は、アルツハイマー病の病因として高血圧の関与、なかでもアンジオテンシンの関与を強く示唆する成績と思います。(2)

▽どこかしら「禅問答」の様で恐縮ですが、高血圧症とアルツハイマー病。この2つの疾患の予防薬や治療薬は、アンジオテンシンの作用をいかに抑えるか、がカギを握っていると思っているのですが…。

 

 

 

(1)Satizabal CL, et al. N Engl J Med. 2016;374:523-532.
 (2)Kuda T, et al.Biochem Biopys Res Commun. 1997;231:526-530.