▽1975年の冬。名古屋大産婦人科医局の人事で静岡市の病院に勤務していました。その病院で、当時29歳の重症妊娠高血圧症の妊婦さんと出会いました。妊婦さんは、前回妊娠時も重症妊娠高血圧症で苦しんだとお聞きしました。

▽今回は、妊娠28週から32週にかけて浮腫、次いで蛋白尿が現れました。血圧も妊娠32週で150/84mmHgに上昇したため入院されました。同僚の医師が、当時の標準治療法の降圧剤や利尿剤で治療を始めましたが、血圧の上昇は止まりませんでした。

 

▽この妊婦さんに、5年前の国立名古屋病院勤務時代、重症妊娠高血圧症の妊婦さんに初めて試みたホルモン療法を詳しく説明しました。妊婦さんが快諾されたので、ホルモン療法を始めました。これが重症妊娠高血圧症の妊婦さんを治療した2例目です。

▽治療開始と同時に妊婦さんのP-LAP値は上昇し、妊娠33週には74単位となりました。半面、血圧は下降しました。

その後もホルモン療法を続けました。妊娠35週にはP-LAP値は42単位と下降し、血圧が再び上昇に転じました。

▽その時点で帝王切開手術によって分娩。1850gのアプガースコア9点の元気な女児を娩出させました。

 

▽2例目も、胎児娩出は、測定中のP-LAP値の持続的な下降と臨床症状の変化で決断しました。“ホルモンアレルギー”が今以上に強かった時代を考えると、P-LAP値をモニタリングしながら、エストロゲンとプロゲステロンを暫増させる方法で、5年間に重症妊娠高血圧症の妊婦さん2人のお子さんを無事誕生させました。ホルモン療法の安全性は、立派に証明されていると確信しています。

 

▽当時の“ホルモンアレルギー”の強さが、いかほどだったかというエピソードを紹介します。2例目の妊婦さんから、産後に初めてお聞きしました。当時の標準治療をしていた同僚の医師は「あなた、こんな治療していたら死ぬわよ」と私のホルモン療法を度々批判していたそうです。

▽それでは、妊婦さんが同僚の医師の言葉に従って当時の標準治療を続けていたら、どうだったでしょうか、その方は、私が設立したNPO法人『妊娠中毒症と切迫早産の胎児と母体を守る会』が毎年3月に開いている定期総会に、その時のお子さん(現在2児の母)とご一緒に毎年参加してもらっています。

 

▽私は何もホルモン療法に成功したことを誇りたくて、このブログを書いているわけではありません。今ほど発達した医療機器がなく、妊婦や胎児の生育状態を知るには生化学検査や問診、触診といった基本的な診察がほぼすべてだった時代でした。それでも、工夫を凝らして今よりも妊婦や胎児に安全な薬剤(ホルモン)を投与して出産に導くことができたと申し上げたいのです。

▽それを考えると、1986年4月に発売された「ウテメリン」が、妊婦や胎児の心臓などに悪影響を与えていると分かっていながら、切迫早産の妊婦に標準治療薬として使われていることが理解できないのです。「ウテメリン」は、心臓負担が重い喘息治療薬を転用してオランダの製薬会社が開発しました。それを日本のメーカーが、技術を導入して開発、売れ始めたら「ウテメリン」という商標を買い取りました。

 

▽日本は、オランダ以上に優秀な製薬会社がそろっています。一方で晩婚によって高齢出産の女性が増えるほど、切迫早産の危険性に晒される妊婦さんは増えていきます。どうして、妊婦や赤ちゃんに安心・安全な薬剤を、日本独自で開発しようという機運が生まれないのでしょうか。不思議でならないのです。

文献 Exp Clin Endocrinol Diabetes 2015;123:159-164山崎