▽今回の講座は難しいお話です。なるべく分かり易くするため、専門用語の説明も入れるので長くなります。お茶でも飲みながら、メモを片手にゆっくりとお読みください。

 

▽さて英国にBМJ(ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル、英国医師会誌)という世界でも最高水準の医学雑誌があります。その雑誌に英国ノッティンガム大学のYana Vinogradova氏らが「ホルモン補充療法(HRT)の静脈血栓塞栓症(VTE)リスクは、投与する製剤で異なる」とする論文を投稿、今年の19日号に掲載されました。(文献1)HRTによるVTEの発症リスクは、経口薬を投与した場合が全般に高く、経皮吸収薬を使った場合は関連がないと指摘しています。

▽詳しい内容を紹介する前に、まず統計用語の「コホート研究」と「ハザード比」を説明します。

 

▽コホート研究とは、特定集団の人達を対象に、その人達の健康状態と環境などいろんな要因との関係を長期間調べ続けます。「前向き」と「後ろ向き」があります。今回の研究は、過去のデータベースを調べているので「後ろ向き研究」になります。

 

▽次にハザード比は、結果(アウトカム)が発生する割合を表す相対的な指標、即ち「相対的な発生率」です。ハザード比が0.9なら、「10%減少」、1.5なら「50%増加」という意味です。コホート研究では、ハザード比はオッズ比で表します。

 

▽一方、サンプリング(対象の母集団からの標本抽出)したデータの結果を全()集団にそっくり当てはめると誤差が生じます。その誤差を計算したのが95%信頼区間です。この信頼区間が1をまたぐと「有意差なし」、1よりも小さいと「リスク減少」、1よりも大きいと「リスク上昇」となります。

 

 

▽少し頭を休めてください。いよいよ本題です。この論文は、たくさんの症例を読破して検討してまとめた結果を、BMJに投稿し掲載された論文です。ただ私には理解できない論文の問題点があります。以下、箇条書きにして疑問点を指摘します。

 

1.論文は、後ろ向きコホート研究(統計上、同一の性質を持つ集団の比較研究)です。このためVTEという急激な変化の病態を調べた過去の患者記録のみで、どこまで臨床現場の実態を読み取ることが出来るのでしょうか。臨床の現場のリアルな変化を過去の記録だけでどこまでその真実に迫る事ができるのでしょうか?私は長く臨床に携わる中で疑問を禁じ得ません。

2.VTE症例はコントロール(対照)群と比べて合併症が多いのです。合併症の有無は、VTE症例56%:対照群36%とVTE症例の合併症が圧倒的に多いのです。その合併症をVTE群と対照群で比較します。カッコ内は前がVTE症例、後ろを対照群として書くと、癌(21%:7%)、心血管疾患(13%:9%)、慢性腎疾患(8%:5%)となっています。

 

直近の治療が必要だった疾患も、VTE症例は対照群と比べて多いのです。疾患は呼吸器または尿路感染症(20%:10%)、骨盤骨折や手術(3.4%:0.3%)、何らかの疾患で入院(7%:%)、抗うつ剤内服(24%:14%)としています。

 

このデータを臨床医の目で見れば、これらの項目がすべてVTEの誘因と関連するのは一目瞭然です。これだけ対照群との背景差があれば、明確な因果関係を指摘するのは出来ないと思います。

 

3.論文は、交絡因子を強調し、それを統計学の方法で補正したとしています。

 

まず、交絡因子を説明します。交絡因子は、想定される原因(HRT)と結果(VTE)の双方に関連する因子です。交絡因子が、原因と結果の中間に位置することはありません。

 

A(HRT)がC(VTE)の原因と想定されるとき、交絡変数BはAを原因として起きません。またBによって常にCが起こるとは限らないのです。

 

論文は、多数の交絡因子を挙げていますが、上記の合併症が交絡因子として最重要です。

 

HRTと交絡因子(合併症など)、交絡因子とVTEの関係によって、HRTとVTEの関係は過大評価あるいは過小評価されます。その程度は、交絡因子の原因(HRT)と結果(VET)の関係によって規定されます。

 

即ちHRTと交烙因子の間に強い関係が存在しても、交絡因子がVETに軽度の影響しかなければ、HRTとVETの関係にはほとんど影響しません。逆も真なりです。

 

両者(交絡因子とVET)が強く関係しているなら、交絡因子の影響は当然大きくなります。この場合、交絡因子の存在は、95%信頼区間やハザード比も狂わせ、首をかしげる結果になります。

 

4.経皮HRTでVETリスクはないとする結論は、HRTは経皮投与ならば安全という意味になります。血栓リスクがなく、効果があるならば、“有用な治療法”ということになると思います。

 

経口と経皮でどうして差があるのでしょうか。薬剤が肝臓を初めて通過する際の効果差と言われていますが、本当のことはよくわかっていません。

HRTで使用されるエストラジオールの場合、非経口投与の方が血栓症リスクが低いという統計的結果が過去に発表されました。ただ、さほど大きな差はないようです。

 

▽VETはまれな疾患です。アジア人では発症頻度が低いとされています。Kumasakaらの疫学的調査によると,1996年の我が国のVET発症数は1年間で3,492人(95%信頼区間3,280 -3,703人),人口100万人あたりに換算すると28人と推定されます。

 

別の疫学調査では、我が国の2006年のVET発症数は7,864人です。10年間で2.25倍 に増加していますが、人口100万人あたりに換算すると62 人と推定されます。

 

この数字を米国の人口100万人あたり500人前後のVET発症数と比較すると,2006年の我が国の人口100万人あたりの発症数は米国の約1/8ということになります。血栓症は、日米間でそもそも大きな隔たりがあるのです。

私のブログで過去HRTのメッリト・デメリットに関して度々取り上げてきました。直近では私のブログNo113です。(文献2)

基礎医学の医師が、臨床の現場を全く理解せず、過去の記録のみから臨床現場を惑わすのは極めて問題です

 

文献1Yana Vinogradova,Carol Coupland,Julia Hippisley-Cox BMJ 2019;364:k4810/doi:10.1136/bmj.k4810

     2.JoAnn E. Manson et al.   JAMA. 2017;318(10):927-938. doi:10.1001/jama.2017.11217